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2018年7月14日 (土)

日本は病気のようだ - 駅前糸脈

  
 これは日本だけの症状ではないかも知れないが、日本はどうも病気ではないかと診断している。私は社会学者でもなく、どこにでも居る市井の臨床医にすぎないが、診察室に座っていると日本の鼓動も聴こえる。
 どうも日本は真贋を見極める力が弱くなっている。それと同時に優れたものを評価し認める心と度量が失われつつある。物事や人物の質を見極め真っ当に評価する眼力と受け入れる度量がないと、目先の利益に囚われ興味本位の付和雷同や粗製濫造に陥り、やがて先達の遺産を食いつぶし、生き延びてゆけなくなるのではと懸念している。人を貶め他人の不幸は蜜の味ばかりでは、やがて自分が不幸になると診断する。
 単純化し過ぎて悲観的かもしれないが、週刊誌的な見方が席巻しては日本は崩れてしまう。芸能人の意見ばかりでは狭く偏ってしまう。受け狙いや天然は面白く楽しいけれども、それが社会の判断基準になっては間違えてしまう。
 週刊誌はAIの時代が来るなどと分かったように書き立てるけれども、AIはと一言では言えない。三言で言えても、それは基礎知識を大前提としている。AIを生み出すことの出来る人は限られているし、そうした地道で研ぎ澄まされた能力がどれほど真っ当に評価され、次世代がきちんと育てられているだろうか。四六時中携帯を見ている人には携帯を作ることはできない。
 三連敗と予想された西野ジャパンがリーグ戦を突破し、世界三位のベルギーに肉薄できたのは、リーダーの西野監督と長谷部主将とフォロワーの選手達に優れた潜在能力があり、背後に地道にデータを分析するサポート体制があったからなのだ。
 もとより藪医が偉そうにという批判は承知しているが、蟷螂之斧も無効ではなかろう。

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